2011/09/02

永遠のゼロ。


お父さん、予科練の話良くしてたね、。
僕、今読んでる本。
おもしろいよ。

弟君から勧めてもらった本。

永遠の0
今、読み終えました。
児玉清氏の少しながめの解説も、一気に読んだ。
心を洗われるような人間との出逢いが、、、、。


美しい心をもって生きたいと、
まっすぐ生きて行きたいと、。
ぶれることなく、。

読んだ後、自然に空をみあげ、
すなおに、そうおもった。


戦争、零戦、海軍航空隊。
父の事。
どうしても父の事を描かないと。

藤原武 19290426〜19991231

祖母が、
よしこのお父ちゃんはえらいんよ。
小学校では作文で文部大臣賞もらって、
近所から神童ってよばれてたんやよ。
宇治山田中学校へ入って、
戦争の時は、予科練へ合格したしなあ。
と父の事をいつも誉めてた。
おばあちゃんこだった私は、
零戦の模型が飾られた彼女の部屋で
いっつも遊んでた。
自慢の息子の話をきかされながら。

戦後、伊勢に戻った父をまってた、
世論の逆転。

父の姉が手配して、とにかく
同志社と三重大学を受験させたらしい。
試験後、
父が姉に、
悪いけど、あかんわ。
名前だけ描いた。
次の試験は
マンガ描いといた。
姉の思惑ははずれ、
昔神童とよばれたこともあった父は
世間に全くなじめず、
大学という世間のシステムに嫌悪したらしい。
競輪選手の試験をうけ、
彼にあった、人生を
生きていったのだと思う。

弟君が、予科練アレルギーといってたけど、
私は、予科練と言う言葉がすきだった。
祖母と私の楽しい会話の一つだったから?
父と話ができる接点だったから?
娘である私に戦争の話は父なりに避けたのだろう。
聞けば教えてくれる程度だった。

父は子供(少なくとも私)に心は開かず、
うまく話ができない人だった気がする。
幼い頃は可愛がってくれたらしい。
わたしが覚えてる父は冗談をいってる事が多く、
その、冗談は大好きだったけど、。
でも、お友達のお父さんとはかなり違ってた。
晩年はお酒飲みになって、
祖母や母に少しうとましく
思われてた普通の老人だった。
父はきっと父になれない人だったんだろう。

父は予科練の集まりに、
いつからか出かけるようになった。
きっと、自分を知っていてくれる人達の中で
見た事の無い笑顔で話に花を咲かせ
特攻に涙してたんだろうな。
少し、嫉妬さえおぼえる。

差別はするけど、
噂や悪口、嘘は言わない人だった。

そんな父の想い出を大切にしたい。

いつか、もう一度逢えるなら、
心から、あまえさせてね。
私はあなたの子供なのだから。

それと、
美子って名前をありがとう。